白い鳩の歩くまま思うまま

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【Tokyo Viz Week Day5】関東大震災100年プロジェクト|Part 2:なぜ下町で被害が大きかったのか?

ライトアップされた永代橋。関東談震災からの復興橋のひとつで1925(大正15)年に竣工した。

 ああ、大東京。
 南西は品川、高輪より半弧を成す芝浦、京橋、深川、洲崎、砂町のその地域の規模の広大さ。近くは越中島の白煙突黒煙突、赤倉庫、水産講習所、灰色の東京市古米倉庫、小栗飛行場、新鮮な電燭の閃々とかがやき出た弁天町の遊廓。大突堤
 夜景、夜景、夜景を見よ。
 震災後の東京、ともするとバラックが低く一大広野とも見ゆる一円の復興中の市街の大観において、その所々に高く、紅く、或は黄色に点じた高楼大厦のイルミネーション。
――北原白秋(1927)「大川風景」『大東京繁昌記 下町篇』(講談社、1976)収録よりp110参照

下町・江東で被害が大きかったのは何故か?

 前回のPart-1では、東京市15区における被害の全容と、被害程度に顕著な地域差があったことを可視化した。今回のPart-2では、まず第一に、「なぜ被害の程度に地域差がみられたのか」という問いを立て、次に、火災の発火時刻と延焼状況を地域別、時系列順に可視化することでその回答を提示する、という形式をとっている。云わば、被害の地域差における簡易的な要因分析である。

https://public.tableau.com/app/profile/haruna.matsumoto/viz/GreatKANTOEarthquakePart-2WhatcausedtheIncreaseinDamage/main

 本Vizの見解は全面的に武村(2003)*1と武村(2023)*2の研究成果に準拠している。関東大震災について長年研究してこられた氏は、これまで江戸・東京を幾度なく襲ってきた大震災の系譜のうち、関東大震災があれほどの甚大な被害を、しかも地域的にかなり偏った被害をもたらした原因について、そもそもの土地の条件に言及しつつ、土地土地固有の条件を生かすことなく近代化と産業革命に翻弄されて急速な都市化が進んでしまったことに要因を求めようとする。曰く、被害の大きかった神田区神保町(現在の千代田区神保町付近)、浅草区新吉原(現在の台東区千束町3丁目周辺)、そして本所区深川区全域(現在の墨田区南部、江東区西部)は、河川の運んだ土砂が堆積した沖積平野のうちでもとくに軟弱な地盤の上に築かれた市街地であり、したがって震度が比較的大きく、地震発生直後に多くの家屋が倒壊して火災が発生し、またたく間に延焼して、逃げる間もなく多くの市民が犠牲になったと。この4つの区いずれにも共通しているのは、震災当時、相対的に矮小な木造家屋が建て込み、延焼を防ぐに充分な幅員の街路にも不足した密集市街地であったということだ。この4区、就中浅草、本所、深川の3区に東京市15区の中でもあまり裕福でない住民が多かったことは、戦前に刊行された各種の貧民街・細民街調査の結果からうかがい知れることであるが、彼ら彼女らが住まうささやかな住居こそ火災発生の種となってしまったのである。

江東の密集市街地は、本所・深川に隣接する南葛飾郡の町村に引き継がれた面も大きい。
左:江東区大島、右:墨田区京島。いずれも関東大震災当時は市外の農村地域だった。

 一方、同じ下町方面であり、ほぼ全焼という被害をこうむりながらも、日本橋区京橋区の死者数が比較的少ないのは、この両区は沖積平野の中でも地盤が安定した場所に立地したため震度が相対的に小さく、地震直後の家屋倒壊による火災発生は極力免れたからだという。両区が焼失したのは他地域からの類焼、つまり強風による飛火の影響であったが、その時住民の多くは避難済であったから、延焼面積の割に死者数を少なく抑えることが出来た。ただし木造家屋の密集市街地という状況は神田区等と同様だったため、結局区面積の9割以上を焼失してしまった。

 つまりこの事実から得られる教訓は、土地固有の条件に即して都市を設計する必要性である。隅田川以東の地域はとりわけ慎重な市街化が必要な場所であるが、近代化はそんな余裕を持ち得なかった。密集市街地をいちばん作っていけないところに作ってしまった。1923年の災害は、ゆえに大災害たりえる惨禍をもたらしたのである。江戸東京という場所は、おおよそ数百年に一度の間隔で大震災が襲う。それは、過去の元禄地震(1703年)、安政江戸地震1855年)の経験を見ても明らかだ。だが人々の寿命は過去の災害を直接体験するには短すぎて、伝聞は直接の体験ほどの説得力を持ちえない。かの有名な寺田寅彦氏が言ったように「天災とは忘れたころにやってくる」。だからこそ歴史をいうものは半永久的に繰り返すのものなのかもしれない。

データの出典とその課題

 Vizの目的は、時間別の発火地点と延焼面積の変遷を可視化することで両者の関係を見つつ、発火時間とその要因の違いが被害の程度に与えた影響について考察することである。つまり発火時間と延焼有無を判別できる発火地点情報と、時間別の延焼面積のポリゴンデータが必要である。前者については、Part-1でも引用した『震災予防調査会報告 第百号 戌』収録の井上一之論文、「帝都大火災誌」より「第20表 発火場所と発火時刻其他一覧表」が条件を満たしていた。後者についても、同号収録の中村清二論文、「大震災による東京火災調査報告」より「第10図」~「第28図」が時系列延焼地域の変遷を描いたものであり、これが使用できると判明した。ひとつやっかいだったのは、延焼面積図はあくまで「図」なので、位置情報を持たない画像データでしかなく、これに位置情報を付与し、かつ延焼面積をポリゴン化する処理が追加で必要だったということである。

 なお、このVizの作成当時(23年9月)、国土交通省「国土数値情報」では、最終的な延焼全面積のポリゴンデータのみ提供されており、時系列の延焼面積のデータは提供がなかった。つまり、一から自分で用意しなければ!ということである。

QGISによるデータ加工

 ということで、QGIS君の出番である。今回の工程は全部で4段階である。

  1. 画像データに位置情報を付与する(ジオリファレンス)
  2. 延焼面積のポリゴンを作成する
  3. データに必要カラム(時刻、地点コード)を追加する
  4. データをマージしてshp形式でファイル出力する

 0段階として、まずは論文中の全15図を一つずつ切り取り、画像データとして保存する工程がある。ここまではまだ楽な方だが、次からが大変。。。なお、私はGISのプロではなく、学生時代にちょっぴり使ったのを、約6年越しの再開を得て触りつつ思い出しつつ、改めて勉強し直しているという、よちよち歩き状態なので、もしかしたらこれよりもっと効率の良い手法が存在するのかもしれない。だが今回はこれ以外思いつかなかったので、以下では先ほどの工程通りに説明することにしたい。

1.画像データに位置情報を付与する(ジオリファレンス)

ジオレファレンス画像。多少のずれはあるが概ねよく重なっている

 0段階で切り出した画像をQGIS上に取り込み、いよいよスタート。TableauのマップはOpenStreetMapに準拠しているので、ジオリファレンスにもOpenStreetMapを使用する。ジオリファレンスの詳しい作業手順はこちらのたいへん丁寧な解説ブログを参考にさせていただいたので、ここで詳細は割愛する。今回は15の図があるので、同様の手順を15回繰り返すことになる。

note.com

2.延焼面積のポリゴンを作成する

先ほどの図に、延焼面積のポリゴン(赤い塗りつぶし部分)を書き込んだところ。

 次に延焼面積のポリゴンデータを作成する。第1段階で位置情報を付与した画像と、OpenStreetMapを重ね合わせて表示した状態のまま、まずはレイヤー追加から。新規シェープファイルレイヤーの作成をクリック→文字コードutf-8を選択→ファイル名入力→ジオメトリ型でポリゴンを選択→OKを押す、の流れでいけるので、あとは編集モード状態でポリゴンを作成するだけ。画像を半透明にして現在のマップとのずれを意識しつつ、画像に描かれている延焼面積の部分(原本では黒く塗りつぶされているところ)をひたすらフリーハンドで!なぞっていく。全工程中、一番きつかった作業。また作成した1つのポリゴンに対して、1つずつ地点コードを振り分けてゆく。後工程でも修正出来るのでここでは適当でよいのだが、最終的にはユニークキーのベースとなるものだ。これを前回同様、15図ぶんだけ作成していく。

3.データに必要カラム(時刻、地点コード)を追加する

属性テーブルを開いてカラムを追加する。Excelのような感覚で操作できる

 先ほど作成した地点コード(画像内で「id」と記載)を整理してユニーク化するのと同時に、延焼時刻のカラム(画像内で「Date」と記載)を新規で追加する。左上の鉛筆マークから編集モードに切り替えられるので、これをクリックした後、新規フィールド追加→フィールドの編集と進めばよい。Excelみたいに直感的に操作できるので詳細は割愛する。これも図の数ぶん、つまり15回繰り返す。

4.データをマージしてshp形式でファイル出力する

 最後に15個のファイルをマージして、1つのshpファイルとして出力すれば完成である。マージする前の最終チェックとして、描いたポリゴンどうしを重ね合わせて、違和感がないか?も確認。ここで結構ずれてるな、、、と思ったポリゴンは、第1段階のジオレファレンスからやり直しである。原本がフリーハンドの手書き地図なのを、1枚ずつ切り出して位置情報を与えているので、多少のずれは仕方がない。ただ、時系列順にデータを切り替えた時に目立つずれ、気になるところにフォーカスして修正した。

今回のチャレンジポイント

 今回は、一にも二にもデータ加工である。Tableauを触っていた時間よりQGISを触っていた時間の方がはるかに長かった。Tableauでのポイントは「ページ」機能を実装したこと。「ページ」機能の詳細は以下の記事を参照いただくとして、ざっくり説明するとパラパラ漫画の要領でVizに動きを持たせる機能のことである。うまく生かせた例だと思っている。

help.tableau.com

 なお、発火時刻と延焼面積時刻に一部ずれがあったので、延焼面積時刻に寄せる形で発火時刻の方の一部時刻を省略又は統合した。なので、各時刻における発火件数は、厳密にいうと現在の表示時刻と前回の表示時刻の間に発生した発火地点の合計である。

 また、「ページ」機能を使用したときに、背景として利用している15区の境界線データまでが連動して表示/非表示になってしまうのを防ぐため、リレーションする際に発火地点データセットと境界線データを全レコード1=1結合にしたこともささやかなポイントである。こうすることで、ある特定の区の発火データがない時刻でも、どこかしら1地点のデータがあれば全15区すべての境界線データが表示できる。つまり、境界線データは発火地点データと連動していないように見せかけることができるのである。

あとがき

 歴史を振り返れば、あと数十年以内に再び東京を大地震が襲うということは、特別な統計的知識や数学的素養がなくても十分予測できる。本章では関東大震災が当時の東京市15区、現在の東京都心部に与えた被害について2回に分けて考察してきた。それらの知見を踏まえ、改めて次なる大震災について思うとき、背筋がすっと寒くなる。2023年の東京は、100年前と比べようがないほど巨大化している。100年前は近郊農村であった世田谷、杉並、足立、江戸川に至るまで残らず市街化され、東京は23の区をもち、その周辺に多摩地域、神奈川県、埼玉県、千葉県といういずれも東京の外縁にあたる市街地を発達させている。東京都の人口だけ見ても、1923年9月1日現在で推計約405万人*3、2023年9月1日現在は977万人*4。2倍以上に膨れ上がっている。

 それに地盤が悪い隅田川以東の地域には、密集市街地の問題だけでなく、地盤沈下による海抜ゼロメートル地帯という課題が重くのしかかってきている。地震によって堤防に亀裂が入り、そこから浸水すれば、江東地区のかなりの地域が海水面下に沈む。これは関東大震災当時にはなかったリスクである。近年、江東地区のあちこちで進む大規模再開発の動きを見るにつけ、複雑な心境になる。いよいよ「江東地区に住む」ということを、根本から考え直さなくてはいけないフェーズにきているのかもしれない。

*1:武村雅之『関東大震災 大東京圏の揺れを知る』鹿島出版社、2003

*2:武村雅之『関東大震災がつくった東京 首都直下地震にどう備えるか』中央公論社、2023

*3:東京府の推計人口。引用は武村(2023)よりp35掲載の「表1-10」から

*4:東京都総務局統計部の調べによる。詳しくは公式HPを参照のこと